歩んできた道のり

ミチタス株式会社代表 二人三脚・経営パートナーの中本美智子です。
ここでは私が「なぜ中小企業の経営をサポートしようと思ったのか?」をお話することによって、私が歩んできた道のりをお伝えしたいと思います。
どうぞ最後までお付き合いください。

父の会社が原点

青空の下の会社

私と中小企業との関係は父の会社から始まります。父は社員約50名、年商10億程度の産業機器製造メーカーで機械設計をしていました。小さいとき、時折、休日に父の会社に連れていってもらいました。敷地内に事務所の建物と部品製作工場があり、設計室には、たくさんの図面台が並んでいました。子供にとっては、日常とは違う異空間に来たようで、ワクワクしたことを覚えています。その後、社会人になり、最初にOA機器販売会社に勤めました。配属されたのは販売促進部、日々営業と一緒に大阪府下の企業を訪問してOA機器の買い替えを勧める仕事でした。訪問する先は、大企業から、従業員数人の家族経営の中小企業まで様々。当時、感じたことは、大阪には本当に沢山の中小企業があり、どの企業も特色をもって仕事をしているということでした。

吹田市の市議会議員として経営を学ぶ

いくつかの会社に転職した後、縁があって吹田市で市議会議員を務めました。行政に関わってわかったことは、税金がなければ行政サービスは実施できない。つまり、地域の人が元気に働き、地域経済が活性化しなければ、町の健全な維持は難しいということです。一方、行政は産業振興施策を実施していますが、個別の企業に合わせた支援ができるわけではありません。私は、もどかしいのと同時に、漠然とですが、“いつか直接中小企業を支援したい”と思うようになりました。その後、父が64歳で務めていた会社を辞め、機械設計・製造の会社を立ち上げました。当時、私は市議会議員でしたので直接事業に関わることはありませんでしたが、“いつか手伝うときが来るかもしれない”という思いもあり、中小企業診断士の勉強を始め、経営に必要な知識を学びました。

吹田市役所

父の会社の経営に携わる

経営資料

2015年、市議会議員を後進に譲り、父の会社に入社しました。理由は、父が78歳と高齢になったにもかかわらず、後継者が決定していなかったことです。社員11名の小さな会社に入って驚いたのは、ヒト・モノ・カネ・情報、すべての面において大企業と違い資源が十分でないということでした。入社後、取引の8割を占めていた大手取引先に修行のため出向、自社に戻ってからは、受発注管理、原価管理の見直し、就業規則の見直し等、様々取り組みました。ただ、あまり大きな声では言えない不正があったり、売上げの減少から経営が苦しくなり最終的には、2019年2月に大手取引先に事業を譲渡しました。約4年間、中小企業の経営に携わりながら、“自分のやり方や決定はこれでいいのか?”、“だれか相談できる相手がいたら”、“もっと早くに手を打てていたら”と、日々感じていました。
あわせて、会社の理念やビジョンを明確にし、社員と共有することの重要性、事業承継の難しさや手遅れにならない取組の必要性を痛感しました。

孤独な経営者を明るく支えます

経営者は孤独です。もし、経営の知識を持つ第三者がパートナーとして傍にいてくれたら、どれだけ心強いか。事業の進め方も変わるのではないか。
それなら、残りの人生、私自身が経営者のパートナーとなり、伴走者として中小企業をサポートしていこうと思い立ちました。私の人生を芝居になぞらえると、「第一幕 会社員」、「第2幕 市議会議員」、「第三幕 父の会社承継」で終わると思っていた人生が、思いもよらぬM&Aにより「第4幕 中小企業サポート」がスタートしました。
持ち前の楽天的な性格と元気で、経営者のみなさまと世の中に明るく楽しい会社を増やしていきたいと思います。

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